上流武士の生活18

御用召状登城しなさいという文書が前日来ます。

ちなみに人事の任免の際、御用状がきます。

御用儀被為在候条、何日登城可有之という御用召の紙が来ます。

もし、その紙の色が白であったら吉、鼠色であったら凶でした。

又、午前中のお召は吉、午後であったら凶であったという。

判りやすいですよね。

午後なら覚悟して心の準備が出来ます。

そのかわり異動に伴う辞令というのは無いのです。

所謂口頭で述べるのが辞令で、特に将軍の口から出たものは

正しく金言となってた。

人事異動というのは転居を伴います。

武士の家は、自分の物ではありません。

幕臣藩士を問わず、全て、主君から拝領したものであり、ですから、

拝領屋敷と言われました。

従って、禄高役職によって大きさ造作は異なります。

若し、昇進すると、役に付随して家も変わり引越しをするようになり。

勿論格下げは、それに伴い家も変わります。

幕末の勝海舟は、役の就任辞任が多く引越しが大変だったようです。

老中登城下座して老中の行列を待ってます

突如解任された場合は、追い出すようにして、引っ越しを迫られたそうです。

これは、老中といえども例外ではありませんでした。

西丸の下にあった老中屋敷からでなければならないのです。

天保の改革で有名な水野越前守は、1843年9月13日経済面での失敗を理由に罷免されます。

水野は贅沢を厳しく禁じて市中を奉行所などの小者を徘徊させ

もし禁令に反したものが居ると容赦なく罰した。

そして、贅沢を禁じた訳ですから新しいものは先ず買えません。

特に銀は武士を除いて禁じられ親は娘の嫁入りに際して、

どうやって取り繕うかと考え、銀の模造も出回ったようです。

兎に角、歌舞伎も制限され呉服店は悲鳴を上げ、料理屋も不況、

江戸中が火の消えた状態になり、庶民の怒りはこの政策を実施した

水野に非難が集中した結果が投石を生んだ

解任のその翌日、水野の屋敷には、群衆が集まり騒いで大きな石を

屋敷に投げ込む者もいました。

その時、解任した将軍家慶は笑って城の高い所から、

この有様を見ていたという事です。